2005年 5月 06日

私のIターン体験

カテゴリー 田舎暮らし,Iターン

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2004年春の黒姫山


今日からブログを始めました。
恥ずかしながらブログを知ったのは今年のライブドアの騒動があってからのことです。
それまでは「何かデザインの似たページが多いな」くらいにしか思っていませんでした。

このブログではIターン・田舎暮らし・仕事を中心に書いていこうと思っています。
今日はIターンに至った経緯を書きます。
写真は2004年春の黒姫山。

少年時代
私は東京(杉並区)で生まれ東京で育ちました。
私は生き物が大好きでした。
小学生の頃は空き地でカマキリやバッタを捕まえたり、近所の池で魚やエビを網ですくったりするのが日課でした。
小さいころは家の周りの空き地にも生き物がたくさんいました。
両親と旅行に行くと朝早く起きて宿の周りを散策し、カブトムシを探したり、小川でザリガニを探したりしていました。
とにかく生き物が大好きでした。
また、自給自足に興味があり、自分で作った安全な食べ物を食べ、出来ることは自分でし、質素倹約して暮らすことを漠然と夢見ていました。
ちょっと変わった子供でした。

就職
大学卒業も近くなり就職活動を始めました。
営業向きだという思い込みで職種は営業に絞りました。
給料がいいということと、東証一部上場の有名企業だったということで受けてみた某OA機器専門商社に内定をもらって就職活動を打ち切りました。
就職活動を迎える学生で、やりたいことが決まっている人は少ないのではないでしょうか。
今考えると私も就職しなければならないので就職したという感じでした。
それでも当時は希望に燃えていました。妻とはこの頃知り合いました。

サラリーマン生活
就職と同時に高円寺(東京・杉並)で一人暮らしを始めました。
7時30分に家を出て電車で1時間程の会社に向かい、会社を出るのはいつも10時過ぎ。
帰りたくても帰れない雰囲気。
完全実力主義の職場は長い拘束時間と精神的プレッシャーで相当にきつかったですが、仕事が終わってから先輩や同僚と夕飯を食べに行ったり、休日の日、やることがないと昼過ぎに起きて会社に行き、いつものメンバーと夜まで仕事をしてラーメン屋で一杯やって帰るのは楽しい一時でした。
一人暮らしは誰にも干渉されず、好きなものを食べ、好きな時間まで眠れるので自由でしたが、暇で他にやる事が無かったので仕事に打ち込んだのだと思います。
食費は毎月8~9万円。エンゲル係数は非常に高めでした。
夜中の1時に寝て朝はギリギリに起き、10分で支度してファーストフードで朝食を買い、会社で食べるのが日課でした。
いつも疲れていて体がだるかったのを覚えています。

趣味-田舎旅行
正月や夏の長期休暇には必ず旅行に行っていました。
行き先は自然や古民家のある所。自然を堪能した後は温泉に入って旅を満喫していました。
妻ももともと自然の中に暮らすことを夢見ており、旅行に行く度「いつかこんな所に住みたいね。」と語り合っていました。

結婚
就職してから3年目の冬、27歳で結婚しました。
新居は埼玉県の戸田市に賃貸マンションを借りました。
妻と一緒に生活を始めたとたん、今までの生活のリズムが激変しました。
帰る時間が遅くなってしまうのは前から嫌でしたが、耐えられないほど嫌になりました。
夕飯も家で食べるので、先輩や同期の誘いを断ることが多くなりました。
休日は妻と出掛けたいので、休日出勤はしなくなりました。
朝早くて夜遅い、平日妻と過ごす時間が1~2時間しかないこの会社にいるのが嫌になってきました。
前も辞めたいと思うことがたまにありましたが、毎日何回も考えるようになりました。
仕事とは自分の人生の何なのか分からなくなってきました。

決断
休日も会社のことを思い出して憂鬱になる生活が続いていました。
心も体も仕事にコントロールされている毎日の中で、田舎に暮らして畑を耕し、家畜を飼って卵や肉を得て、日が暮れる頃に終わる仕事につき、夜は家で家族とゆっくり団欒を楽しむ生活をしたいと強く思うようになりました。
そんな中旅行先の長野県の野尻湖で、学生時代に打ち込んでいた水上スキー(すいじょうすきー)を楽しんだことがきっかけになり、会社を辞めて長野に移住する決心をしました。
人生の重大な決断はちょっとしたことがきっかけでした。意外とそんなものなのかもしれません。

退社
2002年9月、3年6ヶ月勤めた会社を退職しました。
両親・親戚・友人知人への体裁、収入減による生活レベルの低下・・・・・etc。
何かを得ようと思えばその代償として何かを失うのは何をするにしても同じです。
人間は「不満はあるけれど生活が保証されている場所」から「夢があるけれど全く保証がない場所」へ行くのには相当の勇気が必要であるということが分かりました。

移住準備
長野県に移住するにあたってインターネットを使ったり長野県東京事務所へ行って情報収集をしようと試みましたが、役に立つ情報は全く得られませんでした。
結局、移住予定日の1ヶ月前に、1週間ほど長野市に滞在し、住む家を探しました。
現地で家を探し始めてから気付いたのですが、移住を希望する上水内郡信濃町には不動産屋すら無く、信濃町近辺の不動産屋を回りましたが、信濃町の物件自体が非常に少なく、その中にも良い物件はありませんでした。
次に町役場へ行きました。
役場には空家情報サービスというものがあり、空家を貸してもいいという人が登録し、役場を訪ねてくる人に情報を提供するというものでした。
役場の担当者から6件の空家情報をもらい、その中の1軒、黒姫山のふもとの集落内の空家に住むことを決めました。仕事は若いので何とかなるだろうと思い、移住してから探すことにしました。

移住
2003年(平成15年)4月私達夫婦は長野県上水内郡信濃町に移住しました。
移住と同時に大掃除・大工仕事が始まりました。
ほぼ1ヶ月かかってようやくとりあえず問題なく住めるような状態になりました。
今考えると、田舎の不動産・就職事情も考えないで見ず知らずの土地に移住したことは無謀なことだったと思います。若さだけで乗り切ることが出来ましたが・・・。
これから移住をされる方で即独立開業する方以外は最悪就職先だけは決めておいた方が良いと思います。
移住後に精神的にキツくなります。





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